すべての柴犬の雄系統の血統を遡ると、石州犬の「石号」にたどり着きます。その石州犬とは、昭和20年代頃まで、島根県石見地方に生息していた地犬です。地元では「石見犬(いわみけん)」とも呼ばれていました。
小型の純粋日本犬で、主に山の中で猟師に飼育されており、優れた猟犬としての適性を持ち、精悍で、気魄十分であったそうです。
その特徴は、現在の柴犬よりも、やや大きめで、顔は丸っこく鼻は短め、毛は密集し、雨に打たれてもブルっとひと振りするだけで水分がパッと飛んでいくような剛毛であったとのことです。
名犬「石号」を見出して、東京へと送り、日本犬保存会に血統登録をしたのが中村鶴吉さんという人です。
中村さんは、島根県浜田市弥栄町の出身で、当時、東京で歯科医院を経営していました。
昭和の初め、純粋な日本犬の血統が途絶える事に危機感を持った中村さんは、故郷の優れた石州犬に注目し、何度も石州犬探査を繰り返し、血統の保護に努めました。
その過程で出会った一頭が、石号だったのです。
現在の柴犬の隆盛があるのは、この中村さんのおかげともいえるでしょう。
石州犬を東京へと山出しした
中村鶴吉さん
石号は、5歳になるまで、二川の猟師であった「下山信市さん」の猟犬として、山野を駆け巡っていました。当時、日本犬保存会の会員でもあった中村鶴喜さんは、石州犬の血統を保護するために、たびたび故郷である島根県石見地方を訪ね「石州犬探査」をおこなっていました。
その道中で、中村さんは石号に出会ったのでしょう。下山信市さんと中村鶴喜さんの間で、どのようなやり取りがあったかは、わかりませんが、昭和11年、石号は、この地から東京へと山出しされていきました。
中村さんが残した文章によると、当時「益田駅から京都」までは、鉄道で20時間かかったとのこと。そこから、さらに東京への長い道のり。石号はどんな思いで故郷を後にしたのでしょうか。
上京後、石号は正式に日本犬保存会に純粋な小型日本犬として登録されました。
また、展覧会においても、優秀賞や推奨賞を受賞し、当時の日本犬の専門家からも「日本犬としての素晴らしい本質(気魄と威厳、忠誠で従順、素朴で風格)を持った犬」として高く評価されています。
なぜ「石号」は柴犬のルーツとなり得たのでしょうか。
それは、もともと持っていた本質の素晴らしさに加え、伝染病に倒れることなく、良き雌犬や子孫に恵まれ、その子孫たちがまた、伝染病や戦火を逃れたからといえるでしょう。
まさに「石号」は強運の犬ですね!
石号の子「アカ号」
四国産の雌犬コロ号との交配でうまれたアカ号は、「正統な柴犬の源流犬」ともいわれ、高い評価を得ています。
石号の孫「紅子号」
賢くて気品のある素晴らしい名犬だったとのことです。 紅子が戦火を逃れた事が、戦後柴犬史の出発点といわれています。
石号のひ孫「中号」
戦後柴犬再興の祖犬「中号」。 数々の賞を受賞し、当時の映画出演も果たしています。その名声は、日本中に広まり、愛犬家たちの憧憬の的に。 そして中号の子孫たちもまた、あっという間に全国へ広まっていきました。